3.11に想いを寄せるということ。東京とフクシマの切り離せない関係を見直すこと。
3.11のことは生涯忘れないと思います。
地震の瞬間も、津波の映像も、度重なる余震も、TVの画面も、その時に友達や家族と交わした会話も。
恥ずかしいことに、東京がフクシマの原発に電力を依存していたことを私が知ったのは3.11後でした。
そして、自分も東京で暮らしてきた中で福島を犠牲にして生きていたと思うようになったのは最近のことです。
なぜ東京の電力なのに、東京の人々が被害を受けずに原発の周りに住む人々が被害を受けなければいけないのだろう?
ここには明らかに都市から地方への差別構造があると思い、胸が痛くなりました。
都市中心に開発を進めていった結果、日本は確かに経済発展や技術進歩を遂げていったかもしれないけれど、それはどうしても何かを犠牲にしなければならなかったのでしょうか。
東京で暮らしてきたことは、確かに便利で快適でした。電車も学校もあらゆるサービスが充実していて、お金さえあれば何でも手に入りました。
けれどその生活は、フクシマでそうだったように、東京からは見えないところで人々や自然を踏み潰して成り立っているものかもしれなかったのです。
そして、きっと今もそうなのです。
足元には美しい花々が咲き乱れているのに、私たちはそれをひたすらに踏み潰しているのです。
それによって荒れた地面を見向きもしない。
まるで忘れているのか、そもそも気づいてもいないかのように、私たちは美しいものをどんどん破壊していっているのです。
この構造を乗り越えない限りは、私は東京の生活を謳歌していた身として、原発事故に加担した1人であり続けると思います。
私がローカルに魅力を感じ、またそれが広まってほしいと考えるのは、3.11であまりにも悲しい事実を知ってしまったことから始まるわけです。
2011年3月11日、まだまだ寒い時のことでした
東北に想いを寄せる、それだけでは足りないと私は思います。
本当に問題を解決するためには、問題を問題として認識し、解決のために声を上げ、自らが行動することだと思っています。
黙っているだけでは、何も変わらないから問題を問題たらしめてしまう。
声を上げても自分で行動しなければ、特権に浸りながら自己満足を得ているだけのエリート主義に陥ってしまう。
震災後の多くの人々の努力の結果、新たな希望がたくさん生まれました。
けれども原発や汚染、避難者、トラウマ…
まだまだ復興とは程遠い状態だと思っています。
だから私は忘れないで生きていきたい。
忘れないで生きるということは、東京と地方の差別構造から脱却するということ、先進国から発展途上国の差別構造から脱却するということ。
そのためのローカルです🌱
おわり🌸